「大丈夫か?シンジ君」
「平気です、もうこんなのとっくに慣れてますから」
「慣れてるって言われてもなぁ。見てるこっちは…まぁ、シンジ君がそう言うんなら俺は深く問い詰める気は無いが」

 今日は仕事で帰りが遅くなるからと葛城に頼まれ、俺はシンクロテストを終えた少年を葛城のマンションへ送り届けるために車を走らせていた。
その当人は助手席に座っていて、少し疲れたような顔をしながら過ぎ去ってゆく景色を眺めている。
何日か振りに会ったシンジはケガをしていた。どうしたのかと問いただすと、どうやら人に殴られたらしいのだということが分かった。
以前にも友人の鈴原君に殴られた体験があるとは聞いていたが、今度は相手が違うらしい。


「殴られて当たり前のことしてるんですから。これくらいされて、当然なんですよ」


シンジを殴った相手は、同じ第壱中学の、一つ上の学年の男女生徒数人だという。

 エヴァと使徒との戦闘による一般人への被害―…。
避難用シェルターがあるため今までに甚大な数の死者が出たという例はないが、(今のところは)多少のそれはどうしても免れる事はできない。
シンジの話によると、使徒迎撃時の戦闘の影響で帰るべき家を破壊され、それに激怒したその少年は何らかの噂を耳にしてか、エヴァンゲリオン初号機パイロットである碇シンジを突き止めた。
そして怒りの感情のあまり仲間を数人引き連れてはシンジを呼び出し、何発か殴った…という経緯らしい。
この少年の家族は指定のシェルターに避難しており無事だったようだが、大切な“家”という帰るべき場所を無くしてしまった彼と家族の心の傷や憤りは計り知れないだろう。
政府からそういった人々には支援金が支払われているのだが、今だに一般市民や日本政府、そして国連の一部から苦情が絶えないのが現実だ。
使徒が第3新東京市に侵攻してくるにあたって、どうしても大規模な戦闘を避けるのは不可能だった。
エヴァの専属パイロットのひとりとして、シンジが背負っているものはあまりにも重すぎる。
シンジの頬につけられた傷は、その代償なのだろうか。

 シンジが必死で戦っている最中でさえも、ただ遠く離れた場所で思いを託して見守ることしかできない自分。
あれこれ考えても、結論は出ない。
だけど時々考えてしまう、どうして彼がエヴァに乗らなければならないのか、と。


「シンジ君、君の命は君だけのものじゃないんだ」


気付けばそう言っていた。


「初号機パイロットとしての意味じゃない。君が生きていないと、悲しむ人だっているんだ」


 まだ出会ってから長くない少年に、多少は己の過去と重なる部分はあっても…自分のほうからこんな台詞を言うなんてらしくない。
俺はどうかしてしまったのだろうか。ただの同情でもない、でもそれは本心だった。

「葛城なんかは特に、アイツは君がいないと家事なんて全く何もできないだろ?アスカだって、シンジ君がいるからあんな自由奔放に振舞っていられるんじゃないかって感じることも多いからな。」
「…それ、めちゃくちゃな理由ですね。まぁでも、ミサトさんが一人暮らしには向いてないってのは納得できます。アスカはアスカでよく人のこと振り回すから大変だし…」

 シンジは思い出したように苦笑して、そして俺のほうを見る。
その時ちょうど、信号が赤になるのを確認した俺はゆっくりとブレーキを踏んで完全に停止したが、まだ隣の少年の視線を感じた。
俺は不思議に思い、自分もその漆黒の瞳に視線を合わせる。

「ん、どうかしたのか?」
「いえ、なんかうまく言えないけど…、加持さんの言葉には、力がありますよね。ミサトさんの気持ちがちょっとだけ分かった気がします」

ほんの一瞬、だった。
シンジがふわりと目元を緩め、優しい表情になる。

あまり表情豊かとはいえないシンジが、こんな柔らかな顔もするのかと驚く。
それと同時に、儚げで壊れてしまいそうなそれに思わず目を奪われる。純粋に、綺麗だと感じた。

「…持さん」
「………。」
「加持さん、聞いてます?信号、青になってますよ」
「え?あ、あぁ。すまないな」

シンジから指摘され慌ててアクセルを踏む。
つい見とれてしまっていただなんて、言えるはずがない。
自分を褒められたことよりも、先刻のシンジの表情に釘づけになってしまった、などと。

「早く治るといいな、その怪我」
「はい…でも、そんなに気を遣わないでくてもいいですよ?これくらい、ほんとにたいしたことないですから」
「はは、そうか。なぁ、ところでシンジ君」
「なんですか?」
「広くて景色のいい、とっておきの場所を知ってるんだ。今度さ、ふたりで行かないか?」

そう言えば、シンジの顔が少しだけ明るくなる。

「…ほんとですか!ちょっと行ってみたいです」
「きっと気に入るさ。俺が保証する」

君が少しでも幸せを感じることができるなら。俺はそのきっかけを、与えたいのかもしれない。
約束をした日が待ち遠しかった。また君のあの表情を見るためなら何でもしようと思ってしまうほどに。

「またな、シンジ君」

ミサトのマンションの前で車を止め、シンジは車から降りた。
ぺこりと頭を下げて、ありがとうございます、と呟くシンジ。
それに応えるように笑顔で軽く手を振って、去ってゆくその後姿を見届ける。

「シンジ君、俺は…」

その言葉の続きを、口に出そうとしてはやめた。





*******





加持と別れた後、ミサトのマンションの部屋のドアの前まで来て立ち止まったシンジは先程、加持が言っていたことの意味をふと考えた。
自分の探している答えがまだ、見つかった訳じゃない。でも、どうして彼はいつも自分を気遣ってくれるのだろうか。

“君がいないと悲しむ人だっているんだ”

そんな言葉をかけられたのは生まれて初めてだった。
最初のうちは戸惑ったけれど、内心ではすごく嬉しくて。加持から受け取る言葉は、自分にとって何だか不思議なものが多い気がする。

(もてるんだろうな、加持さんは)

大人で、あんなにもかっこいいのだ。
実際、女の人にも困らないだろう。まだ語れる程に彼のことを知っているわけではないから、自分が語る資格は無いのかもしれないけれど。
…でも、彼自身は。

「加持さんはどうなんですか。加持さんにとっての、僕って…」

彼の目に映る僕は。僕の目に映る彼は。これから変化することはあるのだろうか、それとも。
うまく言い表せないこの感情に呑みこまれそうで、恐くなった。





End.



2011.08.28

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