光ファイバーケーブルによりジオフロント天井部から送られた太陽光は、地底都市内全体を、地上と変わらぬ明るさで保ち続けていた。
シンジは大きく伸びをして景色を見渡す。人の手によって耕された地面に栽培されている自然の恵みは、見るかぎり順調に成長しているようだった。ゆっくりとしゃがみ込むと、自分の真下からは自然独特の土の匂いがした。
澄みきった青が映えているこの場所は一面が緑で覆われている、広大な土地だ。はじめてこの場所に来たとき、わずかに土を手に掬ってみたら、それは普段自分達が暮らしている生活圏に存在している花壇や植木鉢のものとは全く異なっていて。
そこに感じたのは、人のもつ技術だけではけっして生まれないであろう、大地の重み。
「さて、と…」
シンジは一旦作業を中断して手に持っていた鎌を置き、地面に散乱している雑草を掻き集めた。
普段はあまり味わえない、つん、とした草の匂いがまた鼻を掠める。
シンジは刈った大量の草を一カ所に集め、立ち上がった。そして自分よりも少し離れた場所で作業している加持に呼びかける。
「加持さーん、こっちの草取り終わりましたよ」
「そうか。じゃあこっちに持ってきてくれないか?」
「あ、はい」
傍に置いておいた透明色の大きなゴミ袋に刈った雑草を入れ、シンジはそれを片手に持ちながら加持の傍まで歩いていった。
ゴミ袋の中には大量の雑草が入っているが、雑草というものはとても軽いもので、持ち運びは結構楽なのだ。
それからついでにと、加持が刈った分の雑草も同じゴミ袋に詰め込んだ。
「おっと、すまない。こりゃまた大量じゃないか」
加持はシンジの方を振り返って少し驚いたように言う。
暑さのせいで、その額には汗の雫が一粒流れている。
「もうゴミ袋がいっぱいになっちゃいましたよ。草って、すぐ生えてきちゃうんですね。この前も草取りしたのに」
「そうさ、雑草の生命力は凄いぞ。人間なんかよりも、遥かにな」
「畑を管理するのって、思ってたよりもけっこう大変なんですね。僕、知りませんでした」
「あぁ。人間でも野菜でも、何かを育てるってのは簡単なことじゃない。でもな、シンジ君。俺は世話するうちにいつの間にかコイツらの成長を見るのが楽しくなってきたんだよ。苦労して自分で育てただけあって、美味しさが全然違う」
そう語る加持は普段よりも気を抜いているのか、何だかとても和気あいあいとしていた。
何か生きがいがあると、少しは自分の視野も広がるのだろうか?今のシンジには、そんなものはなかった。
シンジが初めて加持の畑仕事を手伝ったとき、この男にこんな一面もあるのかと意外に思ったのをよく覚えている。
この加持リョウジという男は、一見だらしのないようで、案外他人を気にかけているのだ。
こんなふうに、相手から心を開いてくれると今まで以上に接しやすくなる。
今思えば、シンジのそんな心情をあの時から加持が組みとってくれたのかもしれない。
自分も誰かに心を開いたら、本気で解ろうとしたら―…今よりももっと、近づけるんだろうか。
認めてもらえるのだろうか。
(だけど今まで通り、何も変わらなかったら?)
そのときが恐くて仕方なくて、身動きがとれないでいる。脳裏の片隅に、嫌でも父の姿が浮かんだ。
あれこれ考えて、本当の答えを探すことに戸惑ってしまって。何を信じていいのかさえも分からない自分のような人間を、本当に受け入れて貰えるのか。
そんな自分の思考を遮るように、加持の言葉がシンジの耳に入ってくる。
「きみもだよ、シンジ君」
「…?」
急に話を振られて、何だろうとシンジは首を傾げた。
「手間はかかるけど、可愛いってこと」
「…えっ、」
「不器用かもしれないが、きみは頑張ってるからね…。応援したくなるんだよなぁ。葛城もきっとそう思ってるんじゃないか?」
まるで当たり前に何でもないように加持の口から発せられた称賛の言葉。
シンジはそれに面食らってしまう。同時に可愛いと言われて、恥ずかしくて仕方ない。思わず自分を讃えられて、嬉しくないと言ったらそれは嘘になる。
「どうしたんですか、急にそんなこと」
「褒めてるんだよ」
「で、でもっ!僕、男なのに可愛いとか言わないでくださいっ!!」
シンジが困ったような表情で否定すると、加持は楽しそうに口元に笑みを浮かべて言った。
「ははは、そういう反応されると、余計にいじりたくなるなぁ」
「…加持さんってけっこう意地悪なんですね」
「褒められるって、嬉しいだろ?」
「まぁ、そう…ですけど」
「なら素直に受け取っておくべきだ」
気づけば、余裕でからかってくる加持のペースに乗せられてしまう自分がいる。
でも何故かこんなやり取りは嫌いではなかった。
友人であるトウジやケンスケ、家族のような存在のミサトやアスカと交わす会話とは、また少し違う雰囲気の会話を、加持とは普通にできることが不思議だ。
不安で固くなって竦んでいる気持ち。それを加持はさり気なく、すぅ、と解してくれる。
この気持ちは何なのだろう。心が軽くなるだけじゃなくて、心臓の辺りが、ふわりと温かくなって。でも苦しく締めつけられるような…不思議なものだった。
今まで感じたことのない、もどかしい感覚にシンジ自身は戸惑う。
自分にとって確信はないけれど、もしかしたらこの男は、数少ない心を許せる相手なのかもしれない。
だからこんなにも、ほかの人と接しているときとはどこか違う、嬉しい気持ちになれるんだと。
絶対そうだ、とシンジは心の片隅で思った。
「さぁ、シンジ君の働きぶりもあって仕事もはかどったし、今日はここで切り上げて何か美味しいものでも食べに行こうか。俺の奢りでね」
「あ、そんな…。別にいいですよ、加持さん」
「なぁに遠慮しなくていい。2人分くらいどうってことないさ」
何だか申し訳ないと断ろうとしたが、先程加持に言われた言葉を思い出してシンジはぐっと言葉を呑む。
ここは、素直に甘えてもいいのかもしれない。
「あの、じゃあご馳走になりますね」
「そうそう、それでいいんだよ」
シンジの言葉にほっとした加持は安堵の表情を浮かべながら、やがて機嫌が良さそうに、
「車の鍵、取ってくるからちょっと待っててくれ」
と言い残してその場を後にした。
その後ろ姿を見ながらシンジは、そういえば小腹が空いてくる時間帯だと思いながらまた大きく伸びをする。
段々と夕方に近づく気配を見せながら、空は少しずつ薄いオレンジ色を帯びてゆく。
シンジの瞳が、そんな天井の空の色を映した。
今日はとてもよく晴れていたから、夜になればここでもたくさんの星が見えるだろう。
しかし地上でなら、もっと綺麗に見えるに違いない。
「そういえば僕、天体観測ってしたことないや。楽しいそうだけど。加持さんは天体観測、したことあるのかな…?」
後から訊いてみよう、とシンジは空を眺めながらぽつりと呟く。
もうすぐ自分のところへ戻ってくる、年上の大人の男のことがなぜか気になって仕方なかった。
End.
2010.09.16
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