3*







 シンジは加持の身体の下で裸をさらし、貫かれながら、1ヶ月前の―…あの日の加持のことを思い出していた。

恋人。
それがシンジにとって特別な響きをもつ名詞になったのは、ほんの最近のことだった。
同じマンションに住んでいる隣部屋の住人、それが加持リョウジだ。

シンジには身内で頼れる者がほとんどいないに等しい。
数年前、シンジの母は他界している。
唯一の家族である父は仕事の出張で家を空けることが多く、そのうえ親戚とも疎遠状態だった。

 今からちょうど1年前、加持はこのマンションへ引っ越してきた。
はじめて挨拶を交わした日を境に。部屋が隣同士というのもあって、それを機にシンジと頻繁に関わりあうようになった。
あまり積極的な性格でもなく不器用な部分があるシンジに対して加持は、シンジの性格にないものを色々持っていた。
加持はいやな顔ひとつ見せず快く受けいれてくれたうえに、「息子にしてはちょっと大きすぎるから、歳の離れた弟みたいだ」などと笑って云っては、とても可愛がってくれたものだ。

(加持さんが僕を弟ができたみたいで可愛いと言ってくれたみたいに…。僕のほうも、まるで歳の離れた頼れるお兄さんができたような気がして…すごく嬉しかった)

加持は、シンジが今まで接したことないタイプの人間で。
一緒にいると安心する相手が身近に欲しかったシンジはひとりっ子で兄弟もいなかったせいか、そんな加持のおおらかさに触れて仲良くなってゆくにつれ、次第に心を開いていった。
いま、思えば。どこかしら彼に甘えすぎていたのかもしれない、とシンジは考える。実際、加持と喋っていると楽しくて。
それでいて沈黙しても気を遣わないでいい、優しくてお茶目で包容力がある大人の加持と過ごす時間―…それはシンジにとって、安らぎそのものだった。

そしてはじめての出会いから3ヶ月ほど月日が流れた、ある日。
加持へ抱く「好き」という感情が、憧れとかの類ではなく恋のそれに変化してきていることに気づいて、シンジは途方に暮れる。

生まれてはじめての恋は、絶望だった。

気持ちを伝えるなんて、もってのほかだった。
そんなことをしてしまえば最後、この心地よい関係はたやすく壊れてしまう。
リスクを背負ってまで告白した結果、気味悪がられて振られるくらいなら、この想いは胸の奥にそっと隠しておくほうがましだった。
14歳と30歳。
なんせ、そのあまりにも離れすぎている歳の差と、同性同士というどうにもならない現実からしてもうすでに、救いようがないのは目に見えていたのだから。

―…嫌われるのだけは絶対に避けたい。
この幸せをうしなう痛みを味わうくらいなら、最初から諦めてしまったほうがいい。
叶わない恋でも、このまま変わらない関係が続いてさえくれれば、一緒にいられるだけで幸せだ、と。
誰のものでもない、自分だけの、彼へのたいせつな気持ちを…たとえつらくても、心のずっと深い場所に押しこめておこう―…そうシンジは頑なに心に誓ったはずだった。

芽生えてしまった恋心を悟られぬように、シンジはなるべく不自然な態度をとるまいとして一生懸命に努力した。内心、必死だった。
ところが1ヶ月前の、あの出来事を境に。
崩壊は唐突にやってきた。

あの日、いつものようにシンジは加持の部屋に入り浸り、ふたりでソファーに座ってお茶を飲んだり他愛のない話をしていた。
とても穏やかな時間だった一方、時折、加持が優しそうな目つきで「シンジ君、かわいい」などと言って頭を撫でてくれるものだからつい、ほのかな期待をしてしまうのがくるしかった。

そんななか、シンジが紅茶のおかわりを入れてこようとソファーから立ち上がると、いきなり加持に腕を掴まれ身体を引き寄せられた。
気づいたときにはもう、シンジの身体は加持に組み敷かれてしまう。
どきどきしながら、最初は彼がふざけて遊んでいるんだろうと思ったが―…

『…俺の秘密、知りたい?』

片想いをしている相手に組み敷かれながらそんな言葉を訊かされ、“知りたくない”とこたえることのできるひとが、この世にいったい何人いるのだろうか。
シンジには到底無理だった。加持の秘密をおしえてもらえると考えるだけで胸が高鳴り、静かに「知りたいです…」とこたえてしまった。
加持はしばし顔を背けて沈黙したあと、ふたたびシンジに視線を落として穏やかに、

『きみを、あいしてる…』

と云った。
そうして今度はとても淋しそうな目をして、加持は微笑んだ。

『シンジ君と一緒にいると…くるしくて、しかたないんだ…。どうしてもきみを、家族や弟みたいには思えない自分がいる。こんな感情に気づいた以上…もう今までみたいに関わることなんて、無茶だ…』

そこまできて、加持はいったん言葉を切った。
自分以上に加持が思い煩っていたのを知ったとき―――
シンジはせつなくてとめどなく涙があふれた。ぽろぽろと。節操もなく。

『俺にとってシンジ君はとても大切で…守ってあげたいって何度も何度も思った。でも今はそれだけじゃ満足できなくなった、汚くていやなやつなんだよ、俺は…。だってふつう、シンジ君を本当の弟みたいに思ってるなら…キスしたり、それ以上のこともたくさんしたいだなんて…思わないだろ?』

まるで、小さな透明のビンからたっぷりと蜂蜜が零れるかのように。

『俺は…きみのお兄さんのような存在でいるのがつらい。これからもずっとそうでいられる自信がないんだ…』

あんなにせわしなく心臓が脈打ったのは生まれてはじめてだったと、シンジはあとから加持に訊かされた。
シンジもまた、同じだった。
あの日、相当な決意と覚悟をもって、加持は身を切るような後ろめたさだったにちがいない。

(つらかっただろうな加持さん…。僕以上に、この上なく)

万が一シンジが拒絶していたら、加持はきっと―…
二度と自分の前に姿を現さず、永遠に会うこともなかっただろう、とシンジは思う。加持とはそういう男だから。






*******






 思い出の流れのなかを漂っていたシンジは、加持の話し声を耳にして現在に思考を戻す。
夢から醒めたように混濁した頭で。

「きみと俺はたぶん、最初からどことなく相性がよかったんだと思う」

お互い裸のままベッドの中で絡みあい、シンジは加持の言葉の意味するものについて、納得するように頷く。
なくてはならない存在に変わってしまった―…特別、と表現するにはあまりにも簡単だから、それ以上のもっと、おおきな―――
あっさりと自分がここに帰ってきてしまった理由はそこにつながるんだろう。

「そういえば今日、図書館で本借りたんだろ?」
「はい。借りましたけど…」
「ん、言いにくそうだな。官能小説?」

にやりと笑われてしまい、そうじゃないです勘違いしないでください、と慌ててシンジは反論した。

「そんなの読みませんって…!」
「だろうな。もうじゅうぶん事足りてるし」
「…加持さんのせいだもん…」

シンジの返事にすこし間をおいてから、たしかに俺のせいだよな…と困ったように加持はふたたび笑みを浮かべ、シンジの髪の毛をやさしく撫でる。

「で、結局なに借りたの」
「………。その、星の王子さま、です」
「どうしてかしこまるんだ?俺だって昔読んだことあるぞ。星の王子さま」

少々意外な返答に、シンジはたちまち嬉しくなる。

「加持さんも?」
「あぁ。“この子が綺麗なのは、心のなかに薔薇を一輪持ってるからだ”っていう台詞が好きなんだ」
「なんか、加持さんが言うと口説き文句みたい…」
「だめか?俺、シンジ君に対してはそう思ってるよ。君はとてもきれいな心を持ってるって」
「やめて…でたらめ言わないでください…っ。ぼく、すごく汚いんです…今日だってあんな…っ。こんな自分、いやなのに…」
「汚くないよ。それにでたらめなんかじゃない。ほんとうだ」

たとえ本のなかの台詞だとしても、心を揺さぶられるような言葉を彼の口から面と向かって言われるのはどうも恥ずかしい―…
そう思いながら、照れ隠ししたくて顔を加持の胸にぎゅうっと押しつければ、

「シンジ君。これから俺たち、もっとたくさんいろんなこと話そう。いっそのことすべてをさらけ出して弱さを認め合うほうが…虚勢を張って強がっているときよりも…ずっとずっと、お互い近づけるのかもしれない。…そうだろ?」

やさしく訴えるように吐露する加持。
シンジは顔がいっそう赤くなってゆくのを自覚してうつむく。今にもうれし泣きしそうになるのをなんとか我慢しながら、ちいさく「はい…」とこたえる。
そして“加持さんも、自分を責めないで…”とはっきり言ったシンジの声はとても感情がこもっていて、だけどすこしだけ震えていた。すると、

「うん、そうする」

と、熱っぽく甘い囁きをつけ加えられた。

「さぁ、次はどこさわってほしいの?きかせて」
「…っ、言えません、そんな…」

 不意に脇腹を撫でられる。そのくすぐったさに思わず「あっ」と声を洩らしてしまう。
さらに加持は首筋に唇を押しつけ、そこからつぅっと咽喉元をたどって胸に移動し、ささやかな尖りを舌先でなぞった。
ちいさいけれど過敏な部分が加持の唇で挟まれ、舌の上で押しあげて軽く歯を立てられる。

(いつもそうだ…加持さんは、僕が恥ずかしくて答えれないって言っても、教えてくれよってやさしく迫ってくるから…)

―…自分はそれからけっして逃れられずに、最終的にはゆるしてしまう。
シンジがそう思ってくすぐったい感情に囚われていると、加持はゆったりとした動きで身体を起こし、下半身にそろりと移動してから勃起しているシンジの性器にするすると指を這わせる。
再びじんじんと痺れるようになってきたそこは加持の手でやわらかに包まれ、絡められた指であまり強すぎない程度にきゅっと握られる。

「ぁっ」
「仕方ないな。じゃあ、俺が決めるよ。ここにしよう」

次に唇をあて、加持はわざと音をたてながらいくつものキスをシンジのそこに落としてゆく。

「だめぇ…っそんなところいっぱいキスするの、やだよ…っ」

その一方でシンジの秘孔からは先ほど射精された加持の愛液がとろとろと零れ、艶めかしく光ってシーツの上を汚していた。
さっきタオルで身体を拭いてもらったときに、加持はなぜか秘孔だけそのまま放置していたのをこの期に及んで気づき、シンジはいたたまれなくて早くも肌が火照り始める。

「ここも後ろのほうも…触ったり嘗められたりするのはいいのに、キスだけされるのはイヤなのか?」
「うん…っ」
「へぇ、そう」

思わず素直に返事をしてしまったことを、シンジは後悔した。
またひとつ、新しい弱みを握られてしまったことに。

「あっ、ぁ…」

加持は確信したようにますます愛おしげにシンジを見つめ、性器へのキスをだんだん増やしていった。
根元や睾丸、裏筋、さまざまなところを唇で軽く、ちゅ、と音を立てて吸いつかれる。
性感帯そのものに執拗なほど口づけをほどこされ、もうその感触だけでシンジのものはぷるぷると震えて大きく頭をもたげる。

「はぁ…っ待って…」

ひととおりキスを終えたあと、さっそく加持は左手をシンジの尻にまわし、中指を尻を割るようにして滑りこませ、奥を探る。
その1本が、まだ潤いを保ち続けているシンジのなかへとぷんと沈みこんでくる。
なかでうごめくのは、丁寧な動きの指。

「んっ、」

体内の奥で指が出たり入ったり、それはシンジには未だに理解できない動きだった。
加持が出した愛液とシンジの内側から新たに溢れ出てくる体液とがぐちゃぐちゃに混ざりあう、異様な感覚。
長い指の関節がしきりに折れ曲がるのを感じては、シンジは悲鳴のような声をあげる。

「ぁ…っ加持さあんっ…また、いっちゃう…!」
「いいよ、我慢しないで」

 促されると、こらえるのはもう無理だった。
度重なる愛撫によってシンジは射精感が沸き起こり、先端から出た白濁が加持の口元にぴゅっと飛び散った。
くるしいほどの快楽から解放され顔が真っ赤になったシンジを見て、加持はふっと微笑み、中指を引き抜く。
そうして口端に附着した白濁を指ですくいとると、陶然とその指をぺろりと舐める。
シンジは羞恥心に耐えかねて両手で顔を隠そうとするも―…すかさずその手は捕えられ、いとも簡単にさえぎられる。

(加持さんはこういうとき、僕に逃げ道をあたえてくれないから…ちょっとだけいじわるだ)

そんなシンジに加持は楽しそうに笑いつつ、シンジの耳もとにそっと口をつけ、

「かくすなよ…」

と、ゆったりとした甘やかな声色で囁いた。
大人の男の色気と情欲が含まれたその低音の心地よさに、シンジの全身は電流が走ったみたいにぞくりとしてしまう。

(加持さんの声、聴いてると…とろけちゃいそう)

この、耳ざわりのよい低い声。
―…彼の声が、たまらなく好き。もっともっと囁いてほしい―…とシンジはうっとりしながら思う。
下半身に、再び熱がどくどくと溜まっていくのを感じながら。

「…つらかったら、そろそろやめようか?きみの身体に、無理強いしたくない」

加持に優しく頭を撫でられ、シンジはぼんやりしながら首をふるふると横に振った。つらくないです、と言葉を返す。
ただ快感を求めるだけでなく、こういった行為のときはいつも自分を気遣ってくれるその優しさが、幸せで…うれしい。
でも知っている―…、彼がお互いのためを思って必死に我慢してくれていることも、だけどほんとうはとてもセックスが好きなことも。

(加持さんはやさしいから…僕がもうしたくないって言ったら訊いてくれるけど、)

「つづけて、ほしいです…加持さんの、好きなだけ…」

ちいさな声でそう素直に呟くと、加持はちょっとだけ困ったようにくすくすと笑う。
加持の目だけを見つめ続けていたせいか、シンジの思考は頭の深いところに追いやられてしまったようにぼやけて夢見心地だった。
正常な感覚がどこか麻痺した、あるいは―…宙ぶらりんの気分、といったふうの。

「だめだよ。男に向かって好きなだけして、なんて言ったら。壊されちゃうぞ」
「こわされる…?」

仰向けになって両脚を左右に折り曲げている無防備な体勢のシンジの膝の裏に、加持の手がかかる。
広げられたシンジの両脚のあいだに、加持の身体が入ってくる。

「俺に、ってこと」

そのままのしかかられている体勢で、先走りの流れる上反りした陰茎の太い部分が、シンジのぬめる秘孔になすりつけられる。
申し分なく潤っているそこはもうすでに1回吐精を受け、さらに指で解されているせいか、ちらちらと濡れそぼり加持の陰茎に過剰に反応しやすくなっていた。

「―っあぁ…」

外側からの甘やかな摩擦熱を再度受け、シンジは思わず身体をしならす。
震えて一瞬力が抜けたところで、ぐっと内側に熱くて硬い塊を押しこまれ、もぐりこんできた太いところがわずかに収まると、そこからさらに奥に押し進められた。それは、シンジのなかの下側と上側をえぐるように動き、そしてだんだん深く押し入ってくる。
擦りつけるように。ずるずると。

「はぁっ、あ…っ」

ゆったりとした動きで腰をゆすられ、結合部からくちゅり、ぴちゃりと消え入りたいほど恥ずかしい音が響きわたる。
加持が挿入を繰りかえすたび、シンジはその熱の大きさに身体の内側から抑えようのない悦びが湧きあがった。

「…あんっ、あっぁっ…!」

突かれたときの重い衝撃と退かれるときの刺激のせいで、シンジの咽喉からは高い声色が勝手に出てとまらない。

(加持さんが挿ってくると、ぼく…こんな…っ)

―…自分ひとりじゃ絶対に出せれない声。
こんなしどけない姿の自分を、彼はたやすく引き出してしまう。
あっけないほど。手なづけられてるみたいに。

「…ぃやあっ、ぁ、あ…っ」

心臓が破裂しそうなほど恥ずかしいのに、ぴったりくっついている肉の奥でされる動き―…
その絶妙な腰使いで、信じられないほど簡単に身体が跳ねてしまう。
神経同士が直接擦れあい、一番深く接しているところは熱く濡れ、そこからどちらともなく溶けてしまいそうだった。

「っん、あぅ…ぁ」

加持はシンジの反応を見てうっとりと顔を歪めながら、さらに腰に力をこめてシンジの奥を突き、わざと敏感な箇所ばかりを攻めたてた。
混じりあったふたり分の体液が、シンジの中からとろとろとあふれる。

(ぼく、もうとっくに…こわされてる…)

「あっ…ぁ、かじ、さん…っ」

シンジが呼びかけると、加持がいったん動きを止めた。
加持さん…?とシンジが涙目で呟くと、大きくてあたたかな掌に、そおっと左右の頬を包みこまれる。

「…ちょっと前みたいにさ、一緒に笑っていられるだけで…それだけで満足できたらよかったんだろうな、きっと。きみを好きになってから、どうやら俺は欲ばりになっちゃったみたいだ…」
「………。」
「シンジ君…、あの物語のなかの王子さまみたいに…もといた場所になんて帰らないでくれ…」
「加持さん…」
「なぁ、こたえてくれよ。こんな俺を、どう思う?」

声をひそめて云われた言葉に、シンジはうれしさでさらに顔が熱くなる。
しっとりとした優しい漆黒の瞳に見すえられ、目がはなせない。

「…欲ばりでも、べつにいいじゃないですか。ぼく、今の加持さんのほうがいい…」

思いきってそう打ち明けると。
嬉しそうな、せつない視線で“後悔しない?ほんとうに…いいの?”と寄越される。ゆるぎなく、まっすぐに。
その瞳だけで、言葉はなくとも返事はじゅうぶんだった。

「ぼく、あなたの力になりたい…」

通じ合えている喜びを感じて、シンジは心からそうこたえる。
いつまでもいつまでも、彼の心のなかに閉じこめられたいと、想いにこたえたいと願いながら。

ふたりには“いま”しかなくても。
あれからというもの、まるで生まれかわったみたいに毎日が期待と絶望とよろこびとかなしみ―…そしてせつない感動で満たされている。
それの何が悪いんだろう、とシンジは思う。ときどき、泣いてしまうけれど。





***



 

 ベッド脇の窓の外に目を向ければ、もうすでに日が落ちているのが分かった。

部屋のなかはうす昏い。
依然として雨模様はつづいており、秋風のひゅうひゅう吹き渡る音が―…まるで人の声色にきこえた気がして、シンジにはかすかに気味が悪くなる。
まだ幼かったころ、この音がこわくて苦手だった。なにかよからぬものが近づいてくる前触れの音だとなぜか思いこんでいた。
霧吹きをかけたときのようなさらさらとした霧雨が窓に降りかかってガラスの表面に水滴をしたたらせている。シンジはそれをとりとめもなく見つめる。
大空いっぱいに広がる暗い雨雲が部屋のなかにながれこんできてるみたい、とシンジは思う。
夜の闇はいつだってそこに、あたりまえのように現れては去ってゆく。
これらはたぶん、自分たちを追いつめるのを愉しんでわらっているんだろう。朝がくるまで。
そして背中から伝わってくるしっとりとした体温が肌にはりついているみたいで、ひどく心地いい。

 すこしだけ首を捻って肩ごしに振り向いてみると。

思ったとおり、うしろから加持にぎゅっと抱き寄せられていた。包みこまれるみたいに。
めずらしく自分よりも先に加持が目を閉じて静かな寝息を立てていたものだから、シンジは小さく笑って加持に向きあい、その胸に寄り添う。
指先でつぅっと心臓のあたりをなぞってみる。
安定した胸の鼓動。彼の心のありかで、いのちの真ん中。それがこんなにもちかくにあるのが愕きだった。

「心配しないで加持さん…。ぼく、ちゃんとここにいますよ」

 滅多に眺められない、隙だらけの寝顔。
こんな表情で途中からずっと自分を抱きかかえていたのかと思うと、なんだか胸がちりちりと痛む。
「加持さん、おやすみなさい…」シンジはそうぽつりとささやき、目を閉じながら彼がこのまま安心して眠れるようにと祈った。
身体の内側の深い部分に、まだにぶい疼きを感じる。
いつのまにか性交は終わっていたが、それはさほど問題ではない。

―…隣に、彼がいてくれさえすれば。

恋をしてのめりこみ、何もかもが普通ではなくなってしまった今。
きっとふたり、正常と異常の境界線を見失っているのかもしれないとシンジは思った。
ためらう気持ちがあっても、嘘だけはつけなくて―――
だから…かいつまんで言えば、お互いの踏みこんではいけない場所にまでやってきてしまったんだろう。
“秘密”によってこの恋は成り立ち守られているのだとしても。

(もし神様がいるのなら。おねがい、もうすこしだけ…。加持さんの幸せのなかに、僕をいさせて…)

 それはもうどうしようもなくあとにも引けない袋小路の恋で。
ふわふわと掴めない、なまぬるい夢のなかを彷徨っているような、でも確かな現実だった。








To be continued...
2013.02.26



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