【嘘みたいなI love You】のアナザーストーリー








 テレビのリモコンを適当に押しながら、何か面白そうな番組でもやってないかと地上波の放送局を一周してみるも、これといって魅力のあるものがなかったので、行きついた先は結局、特に変わり映えもしない報道番組で。
むずかしい顔をしたニュースキャスターとコメンテーターたちが、日本経済の行く末やデフレ脱却について真面目に議論を交わしている。
 加持は寝室のベッドから降りて窓際まで歩いてゆくと頭を掻きながら空を見上げた。
とはいってももうとっくに太陽は沈み、そのかわり夜の帷に覆われた静かな世界だけが、しっとりと、ささやかに雨の音にまぎれてそこにあった。うろ覚えの気象情報ではたしか、一昨日から梅雨入りしたと言っていた。

 
「さて…と。深夜零時まであと1時間半だな」

 壁掛けカレンダーに目を向ける。暦は6月だ。





**********





「シンジくん起きてるかぁー。上がるぞ」

 合鍵をつかってドアを開けて、玄関先でそう叫ぶ。
本来ならシンジが勉強か、読書をしている時間帯。
だが、なぜかリビングは電気が点いておらず、うす暗かった。返事も聞こえない。

「おっ?」

 ひょっとして、もう寝ているのだろうか。
軽くノックをしてシンジの部屋のドアノブをまわす。どうも鍵はかかっていなかったらしく、ドアは簡単に開いた。
不用心だなぁと思いつつなかへ入ると、そこだけはぱっと灯りがついていたので、部屋全体が明るく鮮明に視界にとびこんできた。
そうして部屋の隅っこのほうで、シンジがフローリングの床の上に横向きに身体を丸めてごろりと寝転がっていた。
…いかにも憂鬱そうな、無気力な様子で。
頭のそばには本が数冊、散らばっている。どれもシンジのお気に入りのものばかりだ。

「こんばんは。そんなちぢこまって、蓑虫にでもなるつもりかい?いや…本の虫、の間違いだったかな」
「………。」
「俺、シンジくんの淹れてくれるコーヒー飲みたいんだけど、さ」
「………。」

―――無反応。
見事にスルーされた挙句、つまらない挨拶はよしてください、とでも言わんばかりにくるりと背中を向けられた。
冗談めかせて訊いても少年の物思いに沈んでいるような視線は、床に向けられたまま。
そんな調子のシンジに加持は、にわかに心配になる。

(んー、これはずいぶんと…元気のない…)

加持はふぅ、と穏やかに溜息を溢すと、意気消銷気味のシンジのすぐ隣まで行き、腰を降ろした。
ガラス窓越しに映る外の景色は依然としてくすみ、すみずみまで濡れた雨模様のままだ。

「なにか、あった?」
「………。」
「もしかしてさ…俺のせい、だったりする?」
「…ちがう…」

そこでようやく、シンジがか細い声を発した。
加持は催促することもなく、シンジがふたたび話しだすのをじっと待つ。

「加持さんの、せいなんかじゃないんです…ただ、ぼくが…」

ふいに言葉を濁し、しばらく沈黙したあと、

「ぼくが勝手に、別のことで…悩んでるだけで」
「うん」
「とにかく、今日はもう帰ってもらえませんか」

どうにかしてやんわりと原因を引き出そうとしても、頑なに拒否されてしまう。

「帰って…!」

そうは言われても。今夜だけは、どうしたって譲れないんだよ。
―――仕方ない。最終手段を取りますか。

「なぁシンジくん。今から古書堂行こうと思ってんの。今日は真夜中までやってるだろ、あそこならさ」
「え、あの古書堂…?これから?」
「そ。真夜中の本漁り。たまにはオツだろ、そーゆうのも」
「…でも、時間帯が遅いですし、今夜はもう…」
「いっしょに来てくれないと今ここでヤッちまうぞぉ?」

塞ぎこむと外出するのを億劫がる少年を、中途半端にどこかへ遊びに行こうと誘っても気乗りしてくれないのは目に見えていた。
しかし、そんな状態のシンジでも反応してくれるものがある―――…本だ。すると、


「…行く」


さっきよりもいくらか生気のある声で、そうつぶやくのが聞き取れた。





**********





 何かを理由に気分が沈んで塞ぎこんでしまうとき、ふらっとどこかに寄り道でもしてみるとそこには思いがけず楽しい出来事と新たな発見が待ち受けていたりするものだ。
はじめてその古書堂を訪れたきっかけはいわゆるシンジとのドライブついでの寄り道だったのだが。
偶然それを見つけた瞬間、シンジはすっかりひと目惚れしたらしく、あまりにもうれしそうにしていたので再び連れていきたいと思っていた。

 郊外にある、大通りに面していないとりわけ目立たない場所に、お目当ての古書堂はあった。
大正レトロを思わせる、雰囲気の統一された特徴的で優美な看板建築。
レンガとモルタルの色調がほどよく色褪せた外観は建物自体が年月を経ているであろうが、それが逆にノスタルジックな雰囲気を強調させ、存在感を放っていた。すぐ隣にたたずむカフェも似た感じの構造だ。
比較的小さな古書堂だった。そのせいで内装もけっして広々としているとはいえず、取り揃えてある冊数も大規模な書店よりは遥かに少ない。しかし、どういうわけか選書のセンスが抜群にいい。

「探してたやつ、見つかったの?」

 店内を一通り見てまわったあと、加持は小説を2冊買った。
シンジは4冊で、そのうちの1冊の海外のファンタジー小説はとてもぶ厚く、かなりのページ数だった。
ハードカバーの表紙には、油絵具で細密なタッチで描かれたその物語の主要キャラクターらしき、個性豊かな動物たち。

「はい…!ありました!この本もうずいぶん古くて、今じゃ絶版になってるからネットショップでもなかなか入手困難なくらいレアで。前に来たときはなかったのに、まさか今日は置いてあるなんて…うれしい…」

 有名な高級ブランドの掲げるファッションや、特化した携帯ゲーム機より。
洗錬された情緒豊かな文章の羅列、紙媒体での創作世界に彼の興味は注がれている。
年下の愛しい少年は読書家だ。将来はきっと物識りの、おまけに語学に堪能な子になるだろうと思う。
 贅沢した気分です、とシンジが感激しているなか、ふいに―…店の奥にあるレジの近くにいた青いエプロンを着た初老の男性と目が合う。
その男性に、にっこりと笑顔を向けられる。
―――あぁ、彼が店長か。
この前に来たときのシンジとの会話を、もしかしたら聞かれていたのかもしれない。
直接相談せずともとっておきの処方箋を用意しておいてくれた気の利いた店長に、シンジに勘づかれないよう謝礼の意を込め、笑顔でこっそり会釈した。

「長そうなそれ、今夜読んでいいか?」
「えー…だめですよ!ぼくが買った本なんだから、ぼくがいちばん最初に読むっ」

大事そうに抱えた本を胸に、子どもっぽくぷいっとそっぽを向くシンジの顔と彼の手中にある数冊の本とを交互に見比べる。

「自分が買ったやつから先に読めばいいでしょ」
「…ケチ」

冗談めいた悪態を吐いてみてもこういうときのシンジには通用しないのは当然、わかっていた。

(なにはともあれ、とっておきの戦利品があったからよしとするか)

 さきほど、雑貨コーナーでフローレンス・ブルーの革製のブックカバーを手にとり物欲しげに眺めている姿があまりにも可愛らしかったので、シンジに悟られないようこっそりと買っておいたのは秘密だ。
シンジがブックカバーを諦めた理由は―…たぶん、おおよその推測では、本の購入金額ですでに財布の中身がすっからかんになってしまい、ブックカバーまでは手が届かなかったと考えられる。

「お目当てのものは手に入ったことだし、そろそろ外に出ようか」

 シンジを引き連れて、おもてに出た。
深い闇の空から落ちてくるごく平穏でささやかな雨の滴は、いっこうに止む気配はない。
そんな夜の古書堂の入口付近の屋根の下。ふたり立ち並んで、雨がもう少し小降りになるのを待ってから帰るつもりだった。
古書堂の両側には、ケヤキとやまならしが2本ずつ植えられている。店内から漏れるやわらかい光でケヤキとやまならしの青々とした葉の表面が雨でつやつやと照らし出され、木そのものが夜に吸いこまれそうなほど生き生きとしてみえた。
気まずくも退屈でもなかった。6月の梅雨の夜の、静粛な気配とやさしい雨。空の闇には月も星も見えないのに―…とても良い夜だ。


「本といっしょに雨宿り、なんて。2時間前のぼくなら全然思いつきませんでした」


 水の音、雨の音―――自然から派生する音は読書の次に五感を研ぎ澄まさせてくれる気がするんです…、なんとなく…と、シンジ。
空想からはじまるひらめきやインスピレーションは、彼がチェロを演奏する際も大いに役立つのだそうだ。


「シンジくんのチェロ、また聴きたいな。前に演奏してくれたあの曲、すごくよかった」
「あれだったらいくらでも弾けます…けど、あんまり自信ないから毎回恥ずかしいんですよね…、加持さんの目の前で、演奏するの…」


店内から空気に乗って流れてくるのBGMは、ゆったりと響きのある音色で周囲の空気を満たしていく、印象的なクラシックギターのメロディー。それがごく自然と耳に留まる。
 …なんだったっけ、この曲のタイトルは、と加持は思考回路を巡らす。
あぁ、思い出した。確か―――…”Calling You”、だ。

「きれいなメロディーですよね、これ。ひんやりしてる、感じが。すきだけど、聴き終わったあとにさびしい気持ちになるから…きらいです」
「すきだけど、きらい?」
「…変だって思いますか?すきだけど、きらいって…」

 シンジの瞳のなかにふたたび、心もとなげな憂鬱の色が戻っていくのがわかった。
―――かなしみを、こちらにまで感染させるような―…。
シンジはこんなとき、とても無防備になる。

「…思わないよ」

ずいぶん長いあいだ、雨の降りしきる嫋やかな音が遠くにきこえた。

「シンジくん気付いてる?たった今さ、変わったんだよ。日付」
「え、もう12時回ったんですか。はぁ、もう…寝坊して遅刻したら、加持さんのせいにしちゃいますから」

そんなこと言って、シンジくんだってついさっきまで目をキラキラさせながらはしゃいでたくせに…そう言おうとして喉元で止めた。

「わかってる…それでも今日は、特別な日だからな…俺にとって」
「?どういう意味ですか」
「おいおい、シンジ君のことなのにまさかほんとに忘れてんのか?」 
「ぼくのことって…」
「6月6日、だろ」
「…!」

 思わず、右横にたたずむ絶賛情緒不安定中の目下の少年の頭をいたわるように撫でていた。
くしゅり、と指と指の隙間を通りぬけるのは、雨の気配を吸いこんでわずかにしっとりとした柔らかくしなやかな黒髪。


「おめでとう…誕生日になった瞬間、どうしてもそばにいたかった」


そうして指先がわずかにシンジの首や耳のうしろをかすめた瞬間、ぴくんと震えて「…ぁっ」と小さな声が漏れる。
…やだ、くすぐったいです…!でも…ありがとうございます、と恥じらいがちに言われたあと、


「あのね…。加持さん…、訊いて?」
「ん?」


こちらをちらりと見上げてきたシンジと視線が合わさる。その頬は、うっすらと朱い。


「ぼくが望んでる言葉をくれるのは…、本のなかの物語。それと…加持さん…、なんです…」


 頼りなくて淋しげな面持ちで、シンジはどうしようもなく愛らしい言葉を囁いた。
なにより幸せそうな、やわらかな笑顔でいるときのシンジを見ているのが好きだ、と思う。
けれど、それでも。
君の、幼い表情に。言葉にできない―…憂いを帯びた静かで悩ましげな色が浮かびあがる瞬間。
―――強く惹かれる。歪みだす何かを、制御しようと理性が必死になっている。


「じゃあさ………、もっとたくさんほしいって、言ってごらん」


言葉が、自然と口をついて出た。


―――なぁ、何がきっかけで。
君はそこまでかなしそうな顔をするんだ?
どうして肝心なことを言ってくれないんだ?
ふいにそうやって、俺だけしか知らないところで、元気をなくす理由も。
音を通して、目を通して、空気を通して、指先を通して。
 君が俺の言葉を欲しがっているのなら、


「…いくらでもあげるよ。シンジくんになら」


(いまここが古書堂の前でなかったら、たぶん君を抱き寄せてる)






 健やかなる日も、病める日も。
穏やかで親密な箱庭に、君だけを招待するよ。







End.


2014.06.06
Happy Birthday Shinji!





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