いま、わたしのねがいごとが叶うならば










 エヴァと使徒との戦闘で荒れ果ててしまったスイカ畑を息を切らしてひたすら駆け抜けるシンジの脳裏に、いつかの加持の台詞が重くのしかかる。


『…葛城を守ってくれ』
『………。』
『それは俺にはできない、君にしかできないことだ。…頼む』


 なんとなくそのとき、加持が自分の力を信じて背中を押してくれていたのだとわかった。
エヴァとのシンクロが可能なパイロットはごく一部の者たちに限られている。
それによって自分が必要とされているのを知った。
第8使徒殲滅後、初めてゲンドウにも褒められた。傍から見れば簡潔すぎる奨励の言葉だっただろう。
けれどうれしかった。小さな一歩だっかかもしれない…それでも、ほんの少しでもゲンドウの目に自分が映った気がした。
「次も頑張れる」と曖昧に思った。ただ、あれから色々あった。


(毎回毎回、飽きもせず父さんの言動に一喜一憂して、振り回されて…。いつまで続くんだろう、こんなの…)


 せっかくエヴァに乗っても。
…待ち受けていたのは、使徒に浸食された3号機。ダミーシステムによる、強制的な殲滅方法。
為す術もなく。映像のシャットアウトされた、見えないプラグ内スクリーンの向こう側で繰り広げられる残酷な現実。
否応なしに聞こえてくる音だけがその一方的で凄惨な戦闘を物語っていた。


(父さんは、ほんとうに…ぼくのことが、どうでもいいんだろうな。ぼく、小さい頃に何か父さんに嫌われるような悪いことでもしたのかな…訊きたいけど、たぶん答えてくれやしない…)


 認めてもらえたと思った矢先。
ゲンドウの、感情と抑揚のない非道な言葉の数々。
またしてもいらないと突き放されて。


(一緒にいたいだけなのに…どうしてか大切なひとたちはぼくの前から消えてしまう…)


―――なんで、よりにもよってぼくみたいな弱い奴がエヴァに乗らなくちゃいけなかったんだろう。
アスカだけじゃない…自分がエヴァに乗ったせいで、顔さえも知らない多くの人がどれだけ犠牲になったんだろう。
ぼくがもっと、強ければ。
もっと強ければ、こんなに苦しまずにすむのに。迷わず、悩まず戦えるのに。
 大嫌いだ、大嫌いだ、大嫌いだ、大嫌いだ、大嫌いだ、僕なんか。
なにもかも中途半端で。うんざりする。
いつもこんなのばっかりだ…頑張らなきゃって気持ちになれたときにかぎって報われない。
つらいことばかり次々に起きて…何の役にも立てないまま、誰かが傷ついちゃうんだ。

「アスカ…アスカ…っ…、ごめん…!」

アスカよりも、ぼくが死ねばよかった。

「ちくしょう…ちくしょう…っ」

ぼくよりもずっと根性があって、エヴァの操縦もこなせて…。
エヴァに乗れることに自信の持てる誰かが代わりに乗っていてくれていたら、もしかしたらアスカも綾波も…酷い目に遭わずに済んだかもしれない。

「わかってる…そんなのわかってるよ…っ」

―――逃げても、こわい思いはけっしてなくならない。
逃げた先にも、こわい思いは必ずついてくる―――。
振り払っても消えない、どこまでも追ってくる真っ黒で暗い影みたいに。

(会いたい…母さんに…、綾波に)

エヴァに乗っても乗らなくてもどうせいつかは死ぬのなら。

「ひとつだけでも、やり遂げなきゃ…」

 綾波だけは―――…彼女だけは、助けたい。必ず。
最後だけは、せめて。



**********



―――ここでしか生きられなくなってしまった。
この暗闇に入りこんでしまった以上、わたしは二度ともといた世界へは戻れない。
もうこれ以上、碇くんがエヴァに乗らずに済めばいいと、思った。
彼は…エヴァに乗らないほうが幸せになれる。
誰かのぶんの大きな期待やかなしみ、絶望、命も背負わなくてすむ。

 『…わたしはつながっているだけ。エヴァでしか、ヒトとつながらないだけ』

 いつかネルフ内のエレベーターのなかで2番目のコと交わした会話を思い出していた。
そう。エヴァがあるから誰かとつながっていられた。
絆。エヴァがなければ。エヴァでしか、ヒトと絆を結べない。
それ以外に誰かとつながる方法なんて何も思いつかなかったし、他の選択肢なんて考えもしなかった。
―――人形。碇司令に贔屓されてるお澄まし人形。
2番目のコに言われたひとこと。
たしかにわたしは彼女の目にはそう映っていたのかもしれない―…。でも、ちがう。
ああ決めつけられると何だか胸の奥が、もやもやと………ざわざわと、する。
だってわたしは。わたしは人形じゃない。


―――…碇くんの手作り料理が美味しいってこと、碇司令にも知ってほしかった。


 一寸の光も見えない真っ暗な場所。
そんなところで身を丸めてちぢこまってまるで水に溶けて死んでしまった魚のようにそっとひとり、なにもない空間を見つめた。
いったいわたしの身に何が起こったのか、詳しいことはわからなかった。
ただひとつ理解できたのは、零号機とともに自爆したあのあと、この身が零号機ごと使徒のなかへ取りこまれてしまったということ。
困惑はしなかった。この場所はべつに、居心地が悪いわけじゃない。
使徒のなか。外と断絶された未知の領域。終わった自分の役目。
大怪我をしたときのような痛みをともなう経験も、もうきっとこの先することはないと静かに悟っていたのに。

 なのに、どうして。さっきから。
彼が叫んでる声がする。
碇くんの、祈り…訴え…叫び…わたしを呼ぶ声が…響いてる。

「あぁあああああああああああああああああっ!!」

身体のなかにまで、そのつよい思いが流れてかすかに伝わってくる。

「綾波っ!」

 どうして…どうしてここに、碇くんがいるの。
あなたはジオフロントを立ち去ったはずでは?
まさかまた、ネルフに戻ってきたの?初号機に乗ったの?何のために?
エヴァで戦いを繰り広げるほどにあなたは疲弊して追い込まれ足掻いて苦汁をなめてきた。
エヴァに乗れる資格があるのに、碇司令のような人が父親であるのに戦うことに関して反抗的だったあなたを最初わたしは理解できなかった。
けれどいまは、そうじゃない。


 碇くんといると、あたたかくなるのがなぜかずっとずっと考えていた。
―――わたしの望むものは、なに?

「あやなみっ!」

 碇くんがわたしに向かって手をのばした。
掴まれた腕。引き寄せられる躰。
強さ。弱さ。痛み。ぬくもり。やさしさ。思いやり。儚さ。愛しさ。
あなたのもつ生命力で。胸のなかが満ちていく。


(助けたかった…どうしても。もしそれでぼくが死んでしまったとしてもかまわなかったんだ)
(どうして…?わたしはその逆。…碇くんには生きていてほしかった。ここに碇くんが来てくれたのはうれしいけれど、わたしを助けることによって…あなたが傷つくのは、嫌)
(そんなの…!綾波のためなら傷ついたっていいよ。失うよりは、ずっとましだ)
(碇くん…)
(この先どうなるかぼくにも分かんないよ。それでもぼくは…、綾波と一緒にいたい)
(いっしょ…?)
(…さよならなんて言うなよって、前に言っただろ。ぼくにとっての綾波はこの世にひとりしかいない。…代わりなんて、ほかの誰にもできないよ。…絶対に)
(代わりは…いないの?)
(そうだよ。だから助けに来たんだ。見捨てる、もんか…)
(…ありがとう)
(うん。でもお礼言われるようなこと、たぶんしてないよ…。綾波のためなんて言っときながらほんとうはぼく自身が救われたかっただけなのかもしれない。ぼくってホントわがままだな…。それでもただ…もう一度…、もう一度会いたかったんだ…)
(…わたし、ひとりだった。でもいまは、碇くんがこうして会いにきてくれた。だからこんなにも、光が眩しい…)
(綾波…)


 ふたりだけ。わたしとあなただけ。
限りなく水色に近く美しく澄んだ、透明な世界の底に泛かぶ。
とくべつな意味を持つ距離。
無理して言葉をいくつも並べなくても。
こうして抱きあっていられるだけでうれしい、そう感じた。
瞼を閉じて思い出すのは―…はじめて”ありがとう”という感情を知ってそれを口に出したときの、あのあたたかくてやさしさに満ちた時間。



「綾波、父さんのことありがとう」
「ごめんなさい。何もできなかった…」
「…いいんだ、もう。これでいいんだ…」



 ようやく、わかったの。
わたしの望み。こうあってほしいと、生まれた想い―――…それは。
ありふれた感情をたくさん分け与えてくれた碇くんの、心に抱える深い闇がいつか消え去って。
彼の描く幸福の願いが、叶うことだった。





End.

2014.02.02


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